実際のところ、ユダヤ教・キリスト教に由来する名前を子供につけるのは、なんというか、You Raised the Bet. という感じで、子供たちが背負うものを必要以上に重たくしてしまうのかも知れないな、と少し躊躇したのは事実である。そして残念なことに、僕が危惧した通り宗教を巡る諍い(および、宗教を旗印にした私怨)は日々悲惨な犠牲を生み出しつづけている。
それでも僕は自分の娘に、コンプレックスやプレッシャーを軽快に笑い飛ばすだけの健康な精神を養ってもらいたかったし、息子には、他者からどれだけ侮られ蔑まれても、自分の信念を誠実に貫き通すための剛毅な精神を培ってもらいたかった。Sarahのように。Noahのように。
もちろん、アジアのこの辺りでは、「名前に漢字を使って良い」という素敵な文化があるので、最大限に享受すべく、どの字を採用するかも真剣に考えた。
紗良の紗は、百人一種の絵札で、高貴な女性が身に付けている、半透明の高級な絹織物のこと。すごいでしょ?「沙羅」ちゃんもなんとなくエキゾチックで可愛いな、と思った(美人っぽいし)のだが、「沙」は、数の単位に「黄河沙」というのがあり、「黄河の砂のようにとても数え切れないほどの大数」というのが由来。砂の持つイメージに含まれる儚さや不毛さというものが少し気になって、採用しなかった。また、「羅」とは、そもそも文字の意味自体、完全に男性性のある言葉であり、これも避けた。おかげさまで、紗良は周囲の人からは優しく穏やかで上品で、それでいて朗らかでと、僕の望みどおりのお世辞をもらっている。ここまでのところ、名前に込めた祈りが結ばれたような成長振りである。むろん、これまでのところは、である。ここからどういう人間になるかは、基本的には彼女自身の問題である。お幸せに、と祈る。
能亜という名前については、むしろ年配の人のほうが感じるものがあるかも知れない。あの戦争のころは、「興亜」だの「征亜」だのという言葉が本気で使われていたのだ。今日振り返ってみればその言葉の独善性が浮き立ってしまうけれど、でも、当時の国内の雰囲気としては、ものすごくポジティブな言葉だったのではないか、と創造する。でもね、やっぱり現代は興亜でも征亜でもないんですよ。まったく対等の、共に栄える仲間としてアジアと取り組んでいくことができる時代だし、そうでなくてはならない。そういう意味での「能亜」なのだ。言葉としては僕の造語、ということになるのだろうが、現代は本当にそういうことを考えていくべき時代だと思っている。
禁煙したのも、転職したのも、すべては能亜を迎えたことで完成した僕の家族との接触からインスパイアされてのことだと思います。
そこに向けての最終加速段階である今を、このメンバー(=家族、友人)と共に過ごせることを、感謝します。
この「枕」、なんと言っても、落語家の話芸が最高ですよね、ということでこれから毎週、笑点の大喜利での歌○師匠の枕をちゃんと勉強しよう、などと考えつつ昼休みが過ぎていくのはいかがなものでしょうか。
なにしろ、お客様のお望みどおり、かなり大きな仕組みを用意しているのですが、再三にわたって注意を喚起したにも関わらず、僕の契約終了後、誰がどうやってシステムをメンテしていくか、まったく白紙なんですよ。やばいでしょ?
なにはともあれ、多少の知識と経験があれば、管理を引き継ぐことができるように、かなりしっかりとしたドキュメントを残してあげないといけません。某刑事ではありませんが、「エンジニアというものは、書類書きの毎日」ってなことになりかねません。・・・というか、最後の方はそればっかりになりそうです。やれやれ(^^)
だけど、僕は転職を機に、仕事とは、家庭とは、趣味とは、自分とは、などと、かなりぐるぐると思考を巡らしてしまいました。このあたりも、おいおい、話せる機会があろうかと思います。
これからもよろしく!